自己紹介3.〜起業〜

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『起業』

学生の頃に自分のサロンを持つ。と目標を掲げていましたが、社会人生活を過ごしているうちに役職ももらい独立するという夢は薄れていました。

そんな中、自分と大事な人を守るためには自分のサロンを作ろうと思い今に至ります。

起業することに大きな影響を受けたのは父の存在です。

私の父は、私が幼い頃からこわい存在でした。

プロレスごっこをしても負けてくれない。顔も怖いし。笑

私が小学生の頃、家でわんわん泣いていました。(もう泣いた理由は忘れましたが。)

父がいつまでもうるさい私にキレて、私は裸足のまま担がれて家から一番遠い町内の緑のゴミ置き場へ捨てられたことがありました。笑

これははっきり覚えているんですよね。

父は元ハンマー投げの選手で、青森県代表で全国大会にも出場しているムキムキマン。

猛スピードで走る父。私はいつ用水路に投げられるんだろう。どこに連れて行かれるのか。と小学生なりの力を振り絞って抵抗します。

気付いたらゴミ箱の中。ショックと恐怖でトラウマになってもおかしくないレベルです。笑

少し経って、母が笑いながら迎えにきてくれました。(笑っている場合じゃないよお母さん。泣)

この出来事から、たくましい自慢のムキムキお父さんのことが嫌いになります。笑

嫌いと言っても、学校への送迎はお父さん。毎日車に乗せてもらいます。

そして困ったことに父と母はラブラブ。常に一緒です。笑

休みの日も大好きなお母さんと一緒にいるためにはもれなく父も一緒です。週末はキャンプに行ったり釣りしに行ったり。仲良しでしたが、忘れもしないあのゴミ箱事件。

中学からの反抗期は激しいものでした。言ってはいけない言葉も口にしたり、あからさまに話しかけないでオーラを出していました。

父が気を遣って言う冗談も、今更何を言ってんだと嫌悪感。笑

取っ組み合いの喧嘩もよくしていました。(大人になってからも数回あります。照)

専門学生になり、離れて生活してから少しずつ親のありがたみや感謝を感じるようになりました。

専門学校の卒業式。父もスーツを持って仙台まできてくれましたが、参列したのは母だけ。

どこ行った?と母に聞くと、私に嫌われていると思っていた父はギリギリで式への参列をやめたとのことでした。

卒業式では個人的にも表彰していただき、母はとっても嬉しかったと父に話をしていました。その時に父が小声で言った

「いいなぁ、お父さんも見たかったな」

この一言で私の長い反抗期は終わりを告げます。思えばいつも私の味方だったお父さん。

社会人になり、父ともよく話をしたり、たまに二人でご飯を食べに行ったりできる関係になりました。

そんな中で父が長年勤めた会社を辞めて起業すると言う話を伝えられました。

『お父さん会社をやろうと思って」と話した父は少年のようで私も嬉しそうな父を見て嬉しくなったのを覚えています。

ちょうど社会人1年目。仕事のことで悩んでいた頃だったので、相談はしていなくても感じることがあったのだと思います。

続けて『お父さん、今の歳で新しいこと始めるんだから。あなたはまだ若いし何度でもやり直しが効くんだから』

諭すような言い方でしたが、10年以上経ってこの言葉を思い出します。

今では経営者として父の話を聞いたりすることも多くなりました。

失敗してもいい。と背中を押してくれたのは父が一番だったと思います。

心強い味方を後ろ盾にして、そこから起業について学びました。セミナーや本、いろんな方のお話を聞いたり手探りの状態でしたが、自分のやりたいことは明確でした。

父だけでなく、たくさんの方に応援していただき、頑張るエネルギー満タンで日々過ごします。

ですが、時代はコロナ渦へ。

思うように県外へ移動もできず、練った計画も何度も変更になります。しょうがない。そんな言葉を何度も聞きました。

お店を元々オープンする予定だったテナントも変更になりました。

でも不思議と落ち込むことは一つもなく、だったら今のタイミングでこれを勉強しとこ!zoomなんてできるの?セミナーにわざわざ行かなくてもパソコンでできるなんてラッキー!とやりたいこと盛り沢山の私は楽観的に動き回っていました。

そして美容整骨師の資格を取得しに大阪へ向かいます。

大阪へ向かう飛行機からの風景

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