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今回は美骨エステAiny代表の私のお話をさせていただきます♡
人生を振り返る貴重な時間として、思い出しながらまとめていこうと思うので、お付き合いくださると嬉しいです。
はじめまして。山本藍と申します。
青森県八戸市出身の1990年生まれ31歳です。
祖父・祖母・父・母・姉・私・犬1匹の賑やかな家庭で育ちました。
末っ子なので自由気ままにのびのびと過ごしてきたな〜と思います。
小・中・高校と部活動は卓球部に所属していて中学校・高校では部長もしていました。
美容の仕事を目指したのは中学校の頃です。その頃は漠然と「エステ」ではなく、「美容に携わる仕事」とざっくりしたものでした。卒業アルバムにも将来の夢は美容関係の仕事と記していました。
メイクなどにも興味が出たのが中学生。雑誌などを見たりするのが好きでした。
高校は地元の商業高校に進学。
将来、自分のお店を開くときに簿記ができればいいだろう。という気持ち1割。制服が可愛いから入学を決めたが9割でした。笑
入学してしまえば簿記の難しさにお手上げ。笑
訂正印ばかり押していたような、、
高校に入学しても、部活に必ず入らなければならなかったので、そのまま卓球部に入部しました。
ここでもちゃっかり部長だったのでそこそこ真面目だったと思います。
週2・3日、市民体育館で行なっている卓球クラブにも夜は通って他校の友人と練習したりするのが楽しかったです。両親は送迎が大変だったろうなとは思います。
学校生活は本当に友人に恵まれて、学校が大好きでした。
小学校から高校までは皆勤賞だったと思います。笑
特に高校はある程度自由になり、休み時間になればメイク。放課後は街へ行ってお友達とプリクラをひたすら撮っていました。
友達とメイク道具を交換したり美容に関して原点と言える『楽しい』が強く根付いたのはこの頃だったと思います。
楽しい思い出しかない!というくらい学生時代はJKブランドが最強だと思っていました。笑
いよいよ将来を考えなければならないとき、美容の専門学校に一番強く惹かれていたのでそのまま学校説明会に参加しました。
今でもこの時のことはよ〜く覚えています。
高校にそれぞれの専門学校の方が説明しにくるんですが、その中でおじさんが一人ぽつんと待っていたんです。
何やら仙台の美容専門学校の方で、興味もあったし、何より生徒が一人も集まっていないのがなんだか切なく思えて笑
私一人でお話を聞きにいきました。
自分で言うのもなんですがおじさん、すっごく嬉しかったんでしょうね笑
とっても熱心に説明してくれて、私自身その学校に興味津々。
いきなり東京に行くのは気がひけるけど、仙台くらいならいいかもと現実味が湧きました。
おじさんに「手を見せて」と言われ、見せたときに速攻で「あなたはエステティシャンが向いてるよ!エステには向き不向きの手があるから大事にしてね!」と言葉をかけてもらい
帰り際、もらったパンフレットの一番最後のページあとで見てね。僕の紹介も載っているから。と言っていたので
家に帰ってから見てみるとおじさんは校長先生だったことがわかりました。笑
その後も実際に学校を見学するために仙台まで何度か通いました。
仙台駅の駅ビルでお買い物するのも目的の一つだったので必ず一人で行っていました。笑
一人で青森から仙台まで片道約4時間のバスに乗っていくので校長先生はすごく心配してくれて、個別に手紙のやりとりをしてくれたり、学校案内などもすごくよくしていただきました。
仲良くなりすぎて、このおじさん大丈夫かな?と母に相談したりもしました。(とっても失礼)笑
ともかく、そのまま仙台の美容専門学校に進学します。
(母によると私は頑固なので自分が決めた道以外進まないと思っていたそう。なので好きにさせた。反対したら家出しそうだったと言われました。笑)
美容の専門学校にしては珍しく、校則が厳しかったです。髪を染めてはいけない。穴のあいたジーンズを履いてはいけない。立ち止まって挨拶しなければならない。などなど
校門前に先生が立っていて、一つでもダメだと直してくるまで入れてくれませんでした。
美容師を目指す美容本科・そしてそれ以外の美容を学ぶビューティービジネス科があり1年生の時にあらゆる美容を学びます。
私はビューティービジネス科(略してBB)を選びます。
エステ・メイク・ネイル・ブライダル・着付けなど美容に関係することは一通り学び、2年生に上がる時に一つの分野に絞ります。
初めての県外、一人暮らし。
知らない人だらけの学校。ドキドキすることは数え切れないほどありましたが、ワクワクの方が強くて刺激的な毎日でした。
専門学校でも友人には恵まれて、毎日幸せでしかなかったです。笑
私の今までの人生、学校や友人には恵まれていました。
高校で友人達としていた大好きなメイク時間。校則で怒られていたことが専門学校では授業で好きなだけできるという開放感。
仙台駅のViViという駅ビルの中に入っている居酒屋とたまにブライダルスタッフのバイトを掛け持ちしながら
とっても楽しい学校生活を過ごします。
2年生に上がり、私はエステコースを選択します。
純粋に楽しいという気持ちと、表面的なものだけじゃない、根本的なケアができるエステが美容の基本だと思ったからです。
校内で2名しか選ばれないエステティックコンテストにも選んでもらえて、毎日練習を遅くまでやりました。
学校が大好きだったので、夜遅くまで残るのも休みの日に集まって練習するのも全く苦ではなく、先生にも早く帰れって言われていたような気がします。笑
おかげで毎日友達にも会っていたので寂しくもなくトントンと東北大会優勝、全国大会へ出場しました。
全国大会は全国で選ばれた12人がフェイシャル、ボディの技術、振る舞いなどを審査されます。
渋谷の学校に行って、大きなスクリーンに映し出されながら当日初めてお会いしたモデルさんに施術します。
上位5人?のみ名前を呼ばれるんですが私は呼ばれませんでした。それでもファイナリスト12人ということでメダルをいただきました。
全国大会に出場したことで新聞や学校の卒業式の時には表彰もしていただけたので、両親がとっても喜んでくれました。
少しでも安心してもらえる報告の一つだったので本当ラッキーだったと思います。
エステ以外にもちゃっかりまとめ髪・メイクアップの大会にも校内代表として選んでいただき宮城県の技術コンテストに参加させてもらい貴重な体験をしました。
美容師の卵に混ざって髪をまとめるのは大変でしたが、エステだけでなく色々な体験をさせてもらったのは今でも財産だなと思います。
専門学校は自分でもびっくりするくらい上手くいっていてスターマリオ状態。笑
ヘアショーではリーダーを任されましたが、後輩からのあだ名は『エラさん・たば(旧姓)』完全にいじられキャラでした。笑
確かにエラ張ってるけどひどい!笑
卒業式に向けてクラスメイト同士でネイルをしたりしたんですが、私は友人の髪を編みました。
コンローや編み込みが得意だったので手先は器用なはずです笑
写真では分かりにくいのが残念!ハートにもなっているんです。
離れていますが、今でも連絡を取り合う大事な仲間や先生と出会えたことは幸運だったと感謝しています。
そして、その後訪れる社会人の世界の厳しさに打ちのめされます。笑
続きは次回にします。
思い出すのも気合がいる社会人編です。笑